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7月23日、7時09分。
ばぁさんが逝きました。
享年97歳。
まぁ、往生でしょう。

前回の「ばぁちゃん。」記事から約2ヶ月。

あの時点から、2ヶ月後に…。
とても大切な人と別れて、改めて色々思うことがありました。

一番はじめに脳裏をよぎるのは、

「後悔先に立たず」

・結婚してからの12年間、自分の忙しさ・余裕のなさを言い訳にしてあまり会いに行ってあげられず、構ってあげられなかった
・寝たきりの1年半、もっと楽に逝かせてあげられる方法は、本当になかったのか?

前者について。
とてもとても後悔してる…。やっぱりか…と。当時から分かっていた。
「今日行こかな?」と、ふと思っても、自分の仕事・楽しいことを優先してきた。
たぶん後悔するだろなと…
そう確信犯。何を言っても、過去を取り戻すことはできない…
通夜の読経のなか、この後悔の感情に支配された。
涙が溢れ、止まらなかった…。ホント、止まんねぇ
込み上げる後悔の念が、ハンパない。
いま、書きながらもヤバい…

後者について。
尊厳死・安楽死問題。死生観。
これは、永遠のテーマなんだろうか…
つまるところ、自己尊厳・自己決定権ベースで考えた方がよいかと。
「なるべく長生きを」と願う介護する家族、それは本当に本人も望んでいるのだろうか?
ただの自己満足なのでは?
自分に置き換えても、同じこと言える?

1ヶ月くらい前からというか、ずーーーっと気になってた。
会いに行くたびに涙が止まらず、見るに耐えない…
「もう早く楽になって欲しい…」
そう強く思うようになってた。

ただ、ばぁちゃんが死してもなお残してくれたもの、いっぱいありました。
ひとつには、「親族の絆」。
ばぁちゃんの子供である喪主はじめ姉妹は感情的になかなかツラいのと、段取りを効率よく的なことが苦手だったため、比較的得意な孫のボクが通夜・葬儀の準備や段取り、グループLINEの立ち上げ、受付など役割分担など全体を少しだけ回してフォローしていた。

その関係もあって、葬儀が終わってから全体のグループLINEに、ボクから下記コメントを投げた。

「準備・通夜・葬儀の3日間、お疲れ様でした。とても良き葬儀で、おばぁさんも喜んでいるかと思います。
喪主の◯◯はじめ◯◯と◯◯、重責のなか本当にお疲れ様でした。

今回の件で、おばぁさんからのお願いとして、天の声が聞こえてきまして。
それは、「皆んなたまには集まって、ちゃんと向かい合って会話し、お互いを理解し合い、理解できないのであれば受け入れのココロを持ち、仲良く、あんばよーにやってくれ」と。

そこで、昔はふつーにやってましたが、毎年8/15のばぁさんの誕生日に、「◯◯の集い」(仮)をしたいと思います。
ボクは結婚してからの12年間、自分の忙しさを言い訳として、おばぁさんに構ってあげられず、寂しい思いをさせてしまったと、今ではとてもとても後悔しています。せめてもの恩返しではないですが、昔みたいに8/15に近しい親戚が集まり、遺影の前でワイワイしている姿を見せることくらいでしか、恩返しの方法が思いつきませんでした。今回の3日間でも、「コミュニケーションの大切さ」をおばぁさんから教えてもらった気がします。

会話をすることでお互いを知り理解し、時には誤解を解き、そこから生まれる色々な感情・絆が、ひとつの「家族」であることの意義なのかと。
取り急ぎ、来月の8/15、来られる方は集まりましょう。詳細は、おって連絡しますー」

ばぁさんの子供であるウチのオカンは、これを読んで泣いたとか…

改めて、ばぁさん、ありがとう。
あっちの世界でも、元気で、気の強さはそのままに、たくさんの友達といっぱい遊んでな!

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